2011年9月30日金曜日

1-7 言語は感情である。

なぜ言語が生まれたのか?

これは自分にとってのライフワーク。その問題意識で言語の歴史をたどると、面白い事実がどんどん明らかになる。

日本語、英語、フランス語、ロシア語・・・これらの国語は、近代国家を成立させた一番大きな要素。しかしそれは印刷術の普及によって初めて可能になったのである。それ以前に国家が統一した国語を持つのは稀であった。(ローマ帝国とラテン語の関係はあの時代では奇跡的、だからこそ大帝国ができたのだが)近代国家の「共通標準プロトコル」としての国語という概念は、この300年くらいの短い歴史しかないのだ。

さらにさかのぼれば、そもそも「言語」は単体で生まれたのでもない。

「言葉」 「踊り」 「祈り」 「歌」 さらには 「演劇」 「神話」 「宗教」

これら、自分を表現し、人を理解する「コミュニケーション」という技術は、クロマニョン人の登場とほぼ時を同じくして、全て「一つのもの」として誕生したたと考えられている。
それまで自然の一部として存在していた人間が「自己意識」を発明し、自然と自分を相対化する視点を持った時に、これらのコミュニケーション技法が全て、混然一体として生まれたのである。

ギリシャ時代は市民の間で演劇が愛され、街角では吟遊詩人が物語を伝えた。しかし、当時の演劇に参加する市民も、吟遊詩人も、文字なんて読めない。彼らは口伝えにセリフを覚え、歌を歌い、踊りを踊って、神話も宗教も楽しんだのだ。

さて、随分と長い回り道を失礼して、何を言いたいか?

それは、
「人と人とのコミュニケーション=会話において、実は「言葉」の占める割合は30%も無い(6%とかいう研究者もいる)」ということ。

以下の文を(感情)を変えながら、読んでみよう。

It's a cake. (普通) それはケーキです。

It's a cake. (疑問) それはケーキですか?

It's a cake. (驚き) え、それはケーキなの? すごい!

It's a cake. (喜び) え、ケーキ、嬉しい!

It's a cake. (軽蔑) なんだ、ケーキかよ?

そう、会話においては、感情をちゃんと表現するのが、文字以上に重要なこと。これは絶対に忘れてはいけない。そして、感情には、顔の表情や身体の動きも無意識に連動し、総合的な「表現」がコミュニケーションという大きな枠組みで生かされる。

ちなみに、ビジネスコミュニケーションにおいては、ネガティブな内容を、怒り等、負の感情を抑えて表現するかも重要なんだけどね。それはまた別の話。

0 件のコメント:

コメントを投稿